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K21コレクション|K21州立美術館 | MERZ

K21コレクション|K21州立美術館

ヴォルフガング・ティルマンス

NRW州の州立美術館として2002年に開館したデュッセルドルフのK21。パウル・クレー、ヨーゼフ・ボイスなど20世紀の近現代コレクションを中心に据えるK20美術館に対して、K21はその名前(Kunst 21)の通り21世紀、とりわけ1980年代以降のコレクション、現代アーティストの企画展を催す現代美術館としての役割を果たしている。

1988年まで州議会議事堂として使われたという歴史ある建築物は中央に特徴的な吹き抜け構造を有し、鑑賞者はその周囲を口の字型に囲む個々の展示室を見て回ることになる。通常、美術館の常設展は、時代、テーマごとに区分けされ、個々の作家に焦点を当てるということはあまりないが、K21美術館は一部屋につき一アーティストという個展形式に近い展示方法を採用しているのも特徴。個々のアーティストが取り組んでいる問題、テーマを掘り下げながらヨーロッパ、ドイツのアートシーンの多様性を概観するというユニークな試みはK21ならではだろう。今回の記事ではK21のコレクションの一部を紹介していきたい。


トーマス・シュッテ(Thomas schütte.1954~)

Ceramic Sketches, 1999

デュセルドルフ芸術アカデミーでFritz Schwegler、ゲルハルト・リヒターのもとで学び、同地を拠点に活動するトーマス・シュッテ。ドイツを代表するアーティストの一人に数えられるシュッテは彫刻史のなかでも抑圧され、時代遅れとなった「人体」をテーマにした彫刻作品を長年にわたって制作してきた。過去に見覚えのあるさまざまな表象、スタイルを駆使して、全く異なるコンテクストへと転化させるシュッテのアプローチはブロンズと陶器による彫刻「Frauen(Woman)」にも顕著に現れている。

陶製の120体の「ケラミック・スケッチ」から18体をモデルとして選び、より彫刻的な素材(ブロンズ、鉄、アルミニウム)で巨大化した「Frauen」シリーズ。横たわる体、ひざまずく体、圧縮された体、折り曲げられた体…。女性たちの姿をスケッチのごとく即興的に成形したケラミック・スケッチは、西洋美術史における客体化された女性像とその表象のアーカイヴのようにも見える。

1990年代後半に着手した陶器の彫刻

具象的な形態、トルソ、女性器といった象徴性の強いもの、官能的なもの、ロダン、ピカソ、ヘンリ・ムーアといった彫刻史の系譜など女性表象の変遷が可視化されているようで面白い。遊び心のある造形や釉薬の実験的で多彩なニュアンスも魅力的。

Bronzefrau (Figur Nr.6),2001
ケラミック・スケッチをモデルにしたブロンズ彫刻


ハンス=ペーター・フェルドマン( Hans-Peter Feldmann. 1941~)

シュッテと同じくデュッセルドルフを拠点に活動するハンス=ペーター・フェルドマン。「近代」の足枷を自ら引き受け、職人的な手つきで彫刻というメディアに向かいあったシュッテとは対照的にフェルドマンはそうした「作家性」を排除したコンセプチャルなアプローチで知られている。

Horizons, 2014

匿名の画家が様々な時代に描いた11枚の風景画を地平線で繋いだ「Horizons(2014)」、女性用の衣服を撮った作品「Alle Kleider einer Frau(1975)」など、これらの作品では「収集」「編集」「盗用」などの手法を用い、異なる文脈を再編成することで、全く新しいイメージを紡ぎ出している。アートの制度や権威性に対する懐疑、「イメージとはなにか」という問い直しがフェルドマンの作品には通底している。

蚤の市やオークションで購入した絵画を地平線で繋いだ「Horizons

Alle Kleider einer Frau, 1975

自身で撮った写真、蚤の市で見つけた無名の写真など、ありふれた日常のイメージを詩的かつユーモラスに結び直す編集的なアプローチがフェルドマンの持ち味。物語性を持った個々のイメージというよりは、集合的なイメージやシークエンスに焦点を当てているのも興味深い。

美術史上の名画から女性の頭部だけを切り取り、拡大化して忠実に模写したシリーズ


ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans.1968~)

Leben Ist Astronomisch Installation, 2001–2012

ヴォルフガング・ティルマンスは1990年代以降、同世代で最も重要なアーティストの一人として、写真表現を牽引してきた。ティルマンスの対象は彼の友人、ポップカルチャーやクラブカルチャーの若者たちを撮影した一連の写真、ポートレート、インテリア、風景、静物、抽象的なイメージまで多岐にわたる。なによりティルマンス展示ともいえる大小様々なイメージの断片を簡易的(クリップなど)に壁一面に散りばめた拡張的な展示手法は後続のアーティストに多大な影響を及ぼしてたのではないだろうか。
「Leben Ist Astronomisch Installation」と題されたインスタレーションでは、2004年の金星の太陽面通過(金星が太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように見える天文現象)を捉えた写真、旅先の一場面を切り取った「New World」プロジェクトの写真など、ミクロとマクロの視点が混在したティルマンスの小宇宙が垣間見れる。

2005年から開始したテーブル作品「truth study center」
ティルマンスの写真作品を補完するように、背景にある様々なコンテンツ、イメージがマッピングされている。


エド・アトキンス(Ed Atkins.1982~)

CGIで生成されたアバター、ハイパーリアルな架空の映像世界。ポスト・インターネットの映像表現を先導するエド・アトキンスの作品は虚無、不安、死、メランコリーが重要な役割を果たしている。「Good wine」では丘陵地帯の小道から、少年が息を切らしながら走り回る光景が数分間にわたって繰り返される。終わりのないループ映像なのかと思いきや、突如巨大な赤ちゃんが姿を現し、その直後に中世の衣装を身に纏った瀕死の男が這いずりながらピアノへと向かい、どこか悲しげな音色を奏でる。
洗練されたデジタル技術を駆使して作り込んだ映像世界と、その世界に相容れない憂鬱、孤独、不安といった感情をシミュレートするアバターたち。実存的な問題を抱え苦悩する様子は、デジタル化が加速する現実世界の私たちを反映しているかのようにも思える。

Good wine, 2017

“There’s something missing from that world, and from the characters that are in that world. The thing that is missing sort of defines it.”
その世界と、そこにいるキャラクターたちには、何かが欠けているのです。欠けているものが、ある種、それを定義しているのです。

https://channel.louisiana.dk/video/ed-atkins-something-missing

2019年にK21で開催されたエド・アトキンス展のトレイラー


ツァオ・フェイ (Cao Fei.1978~)

中国のアーティスト、ツァオ・フェイもまたポスト・デジタル世代を代表するアーティストの一人だ。
フェイの住む団地で撮影された初の長編映像作品「Haze and Fog(霞と霧)」では、中国社会における人々の内面の空虚さや都市からの疎外感を表現している。
ドキュメンタリーとフィクションの狭間を行き来するフェイの映像表現は、若い頃から親しんできたポップカルチャーのコンテクストを巧みに取り入れながら、現代中国の社会的・経済的変化の過程を批判的に考察している。

「Haze and Fog」 は、伝統やアイデンティティの喪失と、消費者やサービス提供者の硬直した階級制度、目に見えない「霧のような」コントロールメカニズムを意味しているという。

Haze and Fog (抜粋), 2013


アイ・ウェイウェイ(Ai Weiwei.1957~)

Laundromat, 2016

K20とK21の二会場を使った大規模なアイ・ウェイウェイ展(2019年)は記憶に新しい。
展示室に入るとそこには陳列された衣服と床に並べられた靴、壁一面には写真が隙間なく貼り付けられている。作品の背景にあるのはマケドニア国境に近いギリシャ・イドメニ難民キャンプの問題だ。2016年3月、14,000人の住民が暮らすこの難民キャンプはマケドニア警察によって強制解体され、難民の暮らしや人権はいとも簡単に奪われた。アイ・ウェイウェイは、2016年に何度もこの場所を訪れ、そこでの人々の暮らしを映像や写真で記録している。
難民キャンプの住民がそこに残した衣類を拾い集め、洗浄し、修理した衣類で構成した「Laundromat(コインランドリー)」はそこで起きた現実を見る者に突きつけ、使い古された衣類と美しいホワイトキューブの対比は、皮肉にも難民とEUの分断を強調しているように見える。

„Everything is art. Everything is politics“
すべては芸術であり、すべては政治である

アイ・ウェイウェイにとってアートとは何を意味するのか。「Laundromat(コインランドリー)」は政治的介入と芸術的実践の密接な絡み合い、アイ・ウェイウェイのアートに対する姿勢が色濃く現れている。


2018年のリニューアルオープン後、Ed Atkins、Lutz Bacher、Raqs Media Collective、Cao Fei、Ei Arakawa、Ai Weiweiといった新たなコレクションを加え、ほぼ完全に再編成されたK21州立美術館。2017年からK20、K21のディレクターを務めるSusanne Gaensheimerは、国際的な現代アーティストの企画展からコレクションのための作品を確保し、非西洋のアーティストの作品も積極的に収集していくという購入方針を明らかにしている。

K21州立美術館|デュッセルドルフ
https://www.kunstsammlung.de/de/exhibitions/k21-sammlung

最上階にあるトマス・サラセーノ(Tomás Saraceno )の常設展示

Nami
2015よりドイツ在住。現在はドイツの美大に在学中。 主に絵画のことについて。