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リュック・タイマンス (Luc Tuymans.1958~)『La Pelle』|Palazzo Grassi | MERZ

リュック・タイマンス (Luc Tuymans.1958~)『La Pelle』|Palazzo Grassi

ベルギーに生まれ、現在はアントワープで活動するリュック・タイマンス。
1992年に開催されたドイツの国際展『ドクメンタ9』の参加を機に一躍注目を浴び、90年代のアートシーンに大きな影響を与えたペインターの一人だ。今回は昨年ベネツィアビエンナーレと同時期に開催されたベネツィア、Palazzo Grassiでの大規模な回顧展『La Pelle』を取り上げたい。

Curzio Malaparteの小説(1949年)にちなんで名付けられた展覧会タイトル『La Pelle』。
1986年から今日までのペインティングおよそ80点に焦点を当てている。


90年代以降タイマンスを含む、ピーター・ドイグ、エリザベス・ペイトン、マルレーネ・デュマスら「新しい具象」のペインターたちは、従来のモダニズム絵画の流れを汲みつつ、また既存媒体の具象的イメージを画面に組み込みながら新たな絵画トレンドの立役者として幅広い層に受容された。とりわけ日本では「受験絵画」との親和性の高さと、その視覚的なとっつきやすさも相まって、絵具の塗り、筆致などコンテクストを軽視し、表面のみを表層的に参照した絵が今なお生産され続けており、その影響は良くも悪くも非常に大きいのではないかと思う。

彼/彼女らの絵画では映画、写真、広告など既存媒体のイメージを参照とし、比較的短時間でさっと軽やかな画面に仕上げるといった特徴が見られる。一目見てきれい、かっこいい、怖いといった大衆的なわかりやすさを備えているのもポイントかもしれない。
その上でドイグはムンク、ゴーギャン、といった近代画家の問題意識を引き継ぎつつ、自身の記憶と既成イメージが混在した視覚快楽的な画面を生成し、ペイトンはカート・コバーン、シド・ヴィシャスといった自身が憧れるスター、ある種大衆的な、それまでハイアートの文脈で扱われてこなかった対象を伝統的なポートレートの手法で描いた。またデュマスは出自である南アフリカの人種隔離政策といった人種差別のテーマを扱うなど、いずれの作家も従来の文脈に新たな文脈を接続し、今の絵画を模索し続けてきたことを忘れてはならない。
今回取り上げるリュック・タイマンスの絵画の魅力もまた、絵作りの上手さといった視覚的な目新しさだけではない、複雑で重層的なコンテクストに裏打ちされている。


タイマンスは1958年にアントワープのほど近く、モルツェルという街で生まれ、幼少期をアントワープで過ごす。第二次世界大戦中、オランダ人の母の家族は反ナチ運動に従事し、それとは反対にドイツ系の父方家族はナチズムを支持するという複雑な家庭だったようだ。どちらが善でどちらが悪なのか。相反する道徳観を持つ環境下で育ったタイマンスにとって物事を常に両義的な視点で捉える能力はこの頃に養われたのかもしれない。
ナチズムや第二次世界大戦など歴史の暗部を照らし出す彼のペインティング群はそうした相反する価値観が常に共存している。

Secrets, 1990

ナチズムとホロコースト

ナチズム、ホロコーストといった第二次世界大戦下の悲惨な歴史はタイマンスにとって初期から一貫して追求してきたテーマの一つである。
展覧会の始まりに位置する『Secrets』はナチスの主任建築家であり軍需大臣でもあったアルベルト・シュペーアのポートレートだ。ID写真のようにクローズアップで映し出される表情のない顔。閉ざされた眼。ヒトラーの側近として戦争に関与し、その後1966年に出所したシュペーアは釈放後もマスメディアを通して度々ナチス時代について証言したが、後の研究でその信憑性には疑いが持たれている。タイトルの『Secrets』は彼の隠した「秘密」を示唆しているのだろうか。

our new quarters, 1986

『our new quarters』ではチェコのテレジーン収容所の囚人が送った偽の絵葉書をモチーフとしている。この収容所が他と異なるのはユダヤ人弾圧を国外に隠蔽する為の偽装工作がおこなわれていたことであり、ナチスはその一環として外部の者を欺くため囚人たちに葉書を送ることを奨励した。タイマンスは『Secrets』と『our new quarters』でメディアにおけるイメージの操作、欺瞞を強調している。

「これは絵画というよりむしろ、戦争を想起させるある種の主張であるといった方が良い。それは暴力の象徴でもある。私は西洋文明とは、それ自身が進歩を続けるために破壊行為を繰り返し行なってきた、稀に見る数少ない文明であると考えている。」

Recherches (Investigations), 1989


一見すると、何の変哲もない日常のイメージを切り取ったように見える3連作『Recherches』もまたホロコーストという歴史の暗部に言及している。左の絵はブッヘンヴァルト強制収容所のナチス将校の家具の一部、人間の肌で作られたランプシェードのイメージをモチーフとし、中央の歯の絵、右のショーケースの絵はタイマンスがアウシュヴィッツとブッヘンヴァルドに訪れた際に撮った写真から引用したという。これらの作品では人体を弄び、死者から貴重品を略奪したナチズムの残虐性が比喩的に描かれている。

Die Wiedergutmachung, 1989
ナチスの医者が強制収容所でジプシーの双子を人体実験に使った際に撮った写真から着想を得た作品。

München [Munich], 2012
集団の歓喜と破滅という両義的な瞬間を描いた作品。

1933年、ミュンヘンで行われたヒトラー列席の式典「ハウス・デア・クンスト」の際の写真をもとに描いた『München』。今では現代アートの重要な美術館のひとつに数えられるハウス・デア・クンストもナチス時代は退廃芸術展といったナチスの文化プロパガンダを発信する中心地として機能していた。

実際の展覧会では時系列順ではなく、過去作と近作を並列させた構成となっている。


映画的手法

1982年から1985年にかけて、タイマンスは絵を描くことをやめて映画の実験に専念した。この期間に培った映像編集の手法(フレーミング、クローズアップ、イメージの断片をつなぎ合わせて場面を形成するモンタージュ)は後のタイマンスの絵画へのアプローチにも大きな影響を与えている。
『Die Zeit』を見てみよう。この作品では静止画のような4点のペインティングが連作として並び、左から人気のない村の教会、空の棚、第2次世界大戦下に兵士のために生産されたという野菜のかたまり、そして最後にナチス第3の男ラインハルト・ハイドリッヒが描かれている。プラハの残虐者と恐れられた男とその横に並ぶごくごく平凡なイメージ。これらイメージのつながりによって生じる印象は見る者にとって様々であり、映画のモンタージュ理論の援用が見て取れる。


The Arena Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ, 2014
タイマンス自身が撮った8mmフィルムのワンシーンから引用したという『The Arena』シリーズ。
左の絵から中央、右にかけて暗闇から人影が現れる様子がうかがえ、映画的な時間の流れが導入されている。

The Shore, 2014
映画「Twist of Sand (邦題:砂漠の潜航艇)」のオープニングシーンを描いた『The Shore
映画の静止画を写真に撮って描いた作品など、その多くは不明瞭で劣化したイメージが使われている。

元の映画のオープニングシーン


K,2017

オリジナルのイメージの一部分を切り取った「クローズアップ」もまたタイマンスが好んで用いる手法の一つだ。映画においてクローズアップは本来、登場人物の心理描写など、物語を劇的に演出するといった効果があるが、絵画では映画のようなストーリーや前後の文脈といったイメージを補完する要素はなく、文脈から切り取ることで描かれた対象はニュートラルなイメージとして見る者の知覚や記憶に直接働きかける。

タイマンスがパナマで見た広告看板から着想を得たという『K』ではデジタル的に平面処理された女性の顔をクローズアップで切り取り、美容製品のための広告意図を超えて、女性の眼差しやそこに宿る意志を強調している。また鳩の目を極端にクローズアップした『Pigeons, 2018』では固定化された宗教的、政治的なイメージを解体し、冷徹なまでにそのリアリティーを描いている。

Pigeons, 2018

Der Diagnostische Blick, 1992
医学書の写真を引用して描いたシリーズ


制作プロセス

タイマンスの制作プロセスは既存イメージ、ドローイング、ポラロイド、iPhoneで撮影した写真、ネット上の画像といった主題の選択に多くの時間を費やす。(また作品を1日で仕上げてしまうのも有名な話。) 絵によっては下書きの鉛筆の線やキャンバスの地がそのまま残り、油彩におけるレイヤー構造はほとんどなく絵具の物質的な強度も弱い。それでも決して絵画として弱くないのはやはりモチーフに含ませた複層的なレイヤー、文脈によって絵画的な強度を担保しているからだろう。(もちろん絵画としての質も高い。)

Issei Sagawa, 2016

『Issei Sagawa』は、パリ人肉事件のカニバリスト、佐川 一政を描いた作品だ。
1981年、当時パリに留学していた佐川はオランダ人女性を殺して食べるというショッキングな事件を起こして逮捕されたが、不起訴処分で無罪(1歳の時に患った腸炎を脳炎と誤訳したことからと言われている。)となり、罪を問われないままカルト的存在としてメディアにもてはやされた。ナチスやホロコーストを主題とした絵画と同様、佐川一政というメディアが作り出したイメージを用いて、ここでも間接的に「恐怖」「暴力」が描かれている。

Issei Sagawa, 2012
同じく佐川一政を描いた作品。オリジナルの不明瞭なイメージを忠実に再現している。

“Good painting is diverse in the sense that it’s multilayered, If it’s not, you’re either making propaganda or you’re making an illustration.”
“良い絵とは重層的な意味で多様性がある。そうでなければプロパガンダかイラストのどちらかだ”

Mountains, 2016
山のように見える『Mountains』だが、実際はアルミホイルと一握りの土をモチーフに描いている。こうしたイメージにおける「虚構と現実」の関係もまたタイマンスの関心の一つ。

Body, 1990
頭部と脚がフレームアウトした人形とも子どもともつかないトルソ。
この絵を描くにあたってタイマンスは下地にひび割れを促進させるメディウムを使っている。
画面に生じた亀裂は古典絵画のような「時間」を内包させている。

Me, 2011
タイマンス作品では珍しいセルフポートレート。

Turtle, 2007


Still Life , 2002

9.11とドクメンタ

ティルマンスの代表作の一つ『Still Life』は2002年のドクメンタに出展した作品である。この前年、アメリカでは同時多発テロが起こり、社会的、政治的な作品が多数を占めるドクメンタはこの歴史的事件に応答するような絵画をタイマンスに求めたが、出展されたのはこの巨大な静物画だった。
倒壊したビルでもなく、航空機が衝突する瞬間でもない。キャンバスの大きさと不相応に拡大された静物画と歴史的な事件の相関は何も見いだせない。タイマンスは” 絵画ジャンルの底辺に位置する「静物画」を選んだのは皮肉だ ” と言うが、この絵はその虚無を主張するよう不必要に拡大し、見る者を圧倒する。

タイマンスのこれまでのアプローチはそもそも歴史に対する直接的な言及ではなく、人間の根源的な「恐怖」「不安」「暴力」といった表象し難いものをイメージ、文脈の断片を紡いで、鑑賞者の記憶へと訴えかけるというものだった。この作品では事件に対してタイマンスは負の側面にフォーカスを当てるのではなく、あえて「静物」というありきたりな日常を描くことでその向こう側にある未来への希望を示したのかもしれない。


The Valley, 2007

Isabel, 2015
Orange Red Brown, 2015

Schwarzheide, 2019
1986年にタイマンスが描いた同題の絵画をエントランスホールの床いっぱい再現したモザイク画。収容所の囚人が描いた絵を参照にしており、この作品もまた複数のレイヤーによって構成されている。



タイマンスのペインティングの多くはこのように歴史的な出来事を象徴的に扱うというよりはむしろ、その前後、周縁の忘却されうるイメージにあえて焦点を当てている。
個人の主張や感情、それに付随する絵具のジェスチャー、色彩や空間といった絵画的要素をミュートし、ドキュメンタリー性を強調させた画面も彼のペインティングの大きな特徴だろう。またヤン・ファン・エイク、ジェームズ・アンソール、マグリットの系譜に連なるベルギー絵画を意識した絵画自体の魅力も兼ね備えていることも付け加えておきたい。私自身、タイマンスのインタビューを読んで特に興味深かった点は、絵画自体を最初のコンセプチャルアートに位置付けつつ、「読みもの」よりもやはり「見るもの」として重点を置き、作品の背景を鑑賞者は知る必要はないと強調していたことだ。

社会とアートをどう接続するか。絵画というメディウムにおいてこの問題は疎かになりがちだが、タイマンスはそれを実践する数少ないペインターだと思う。


リュック・タイマンス『La Pelle』
場所:Palazzo Grassi / ヴェネチア
期間:2019年3月24日〜2020年1月6日まで (会期終了)
https://www.palazzograssi.it/en/exhibitions/past/luc-tuymans-la-pelle/

Nami
2015よりドイツ在住。現在はドイツの美大に在学中。 主に絵画のことについて。